今週のメッセージ

2018年2月18日

 

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピの信徒への手紙268節)。

 

学生時代、わたしはある人に、「どういう人を尊敬していますか」と、尋ねたことがあります。するとその人は、「近くにいると、尊敬するのは難しいよ。尊敬する人には、人と人との適当な距離のようなものが必要だよ。…すぐれた人格というのは、そばにいるだけで、人を謙遜な思いにさせるよね」と話されました。

わたしはイエス様を尊敬の対象と考えたことはありませんが、イエス様に出会った人が、イエス様にすぐ従っていくことができたのも、人を謙遜な思いにさせる人格ということにあったのだと、理解することができました。

わたしは中学生の時に数学が苦手になってしまい、分からないところがあると、友だちから教えてもらうことがよくありました。そのような時に抱く気持ちには、相手に対する、謙遜な思いと言えるようなものがあったことを思います。

 

神の子イエス様は、人となり、わたしたち人間と共に生きてくださって、わたしたちに命を与えてくださいました。そのイエス様の人格に触れて、弟子たちをはじめ、多くの人たちが、イエス様に従って行ったのではないでしょうか。

イエス・キリストに従う、ということは、謙遜な思いのうちに、「…互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(同2:34)という聖書の言葉に生きることであるのだと思います。

                           (小川宏嗣)